B故事・諺①-2
1.朝に紅顔ありて夕べに白骨となる。
(あさにこうがんありねゆうべにはっこつとなる)
元気のよい紅顔の少年が、不意に死んで骨になってしまうくらい、人生は無常で、人の生死は全く予想も出来ないということ。「紅顔」は年若い者の血色のよい顔。
2.雲雀の口に鳴子。
(ひばりのくちになるこ)
ひっきりなしに続くおしゃべりのたとえ。よくさえずる雲雀の口に鳴子をつけたようにやかましいことから。
3.錦上に花を添える。
(きんじょうにはなをそえる)
美しいものの上にさらに美しいものを添える。 よいものの上にさらによいものを添える。
4.正直貧乏横着栄耀。
(しょうじきびんぼうおうちゃくえいよう)
正直者は、正直であるがゆえに貧しい境遇にあるのに反して、悪賢い者はずるく立ち回って不当な利益を上げる。世の中の仕組みは、矛盾だらけであることのたとえ。
5.黄泉の路上老少無し。
(こうせんのろじょうろうしょうなし)
死は、年齢に関係なくおとずれるということのたとえ。あの世への道を行く者には、老いも若きもないという意から。「老少」は老人と若者のこと。
6.難波の葦は伊勢の浜荻。
(なにわのあしはいせのはまおき)
物の名や風俗、習慣などは、土地ごとに変わるものであるというたとえ。
7.愛屋烏に及ぶ。
(あいおくうにおよぶ)
人を深く愛するようになると、その人の家の屋根にとまる烏までかわいらしく思えるということ。
8.伽羅の仏に箔を置く。
(きゃらのほとけにはくをおく)
よいものを、いっそうよくすることのたとえ。名木の伽羅で作った仏像を、さらに箔で飾り立てるという意から。「箔」は金・銀などの金属をたたいて薄くのばしたもの。
9.朝菌は晦朔を知らず。
(ちょうきんはかいさくをしらず)
限られた境遇にある者は、広い世界があることに理解が及ばないというたとえ。また、寿命が短いことのたとえ。「朝菌」は朝生えて晩には枯れてしまうキノコのこと。「晦朔」は月のみそかとついたちの意。
10.芥子の中に須弥山あり。
(けしのなかにしゅみせんあり)
「芥子」とは非常に小さいもののたとえ。「須弥山」は世界の中心にあるといわれる高山。
芥子のように小さな自分の中にも一つの世界がある、私の中にも世界の仕組みが存在する。
11.骸骨を乞う。
(がいこつをこう)
主君に辞職を願い出ること。
主君に身を捧げて仕えてきたが、せめて骸骨同然となった身体だけでも返して頂きたいと辞職を願い出たという故事から。
12.燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。
(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
小人物には、大人物の遠大な志は理解できないということ。「燕雀」はツバメやスズメのような小さな鳥のことで、小人物の意。「鴻鵠」はオオトリや白鳥のような大きな鳥のことで、大人物のたとえ。
13.河童の寒稽古。
(かっぱのかんげいこ)
他人が見れば大変そうに見えても、実際にはなんでもないことのたとえ。河童の寒中水泳はつらそうに見えるが、河童にとっては寒くもなんともないことから。
14.環の端無きが如し。
(たまきのはしなきがごとし)
巡り巡って終わりがないことのたとえ。
「環」は、輪の形をした飾り。
輪の形をしている環に端がないように、終わりがないとの意。